復活節第7主日
福音の箇所とは違いますが、「主の昇天」の箇所を記載しました。
「証人」という言葉の意味は、「何かの事実を証明する人。(法律では、裁判所または国会に呼び出され、実際に見聞きした事実を申し述べる人)」(『新明解国語辞典』)とあります。
このように見ますと「証人」は、とても責任重大な意味があります。一方、「証人」は、「証する」「人」と分けて見ますと、何か物事について、それを証明する人、それを生きる人という意味合いとなるのではないでしょうか。
イエスさまが天に帰って行かれるとき、イエスは「『メシアは苦しみを受け、3日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる」と弟子たちに伝えています。
この中で【名】というのは、ただ単に「○○さん」という人の名前ということではなく、その人の人格すべてのことを指しています。ですから、イエスが言われる【その名】というのは、イエスの人格(神格)のすべてを意味しています。
イエスは、ご自分の「受難」と「復活」、そして、「人々への贖い」があらゆる国の人に宣べ伝えられるための【証人】として、弟子たちに使命を与えられました。
もちろんこのことは、弟子たちだけではなく、私たち一人ひとりに「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われているのです。
イエスは、その後に「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る」と言われています。このことはイエスが、弟子たちに【聖霊】を送るということを約束されているようです。私たちは、【聖霊】の働きがなくては、自力でイエスの【証人】となることはできません。
私たちは、日々の生活の中で【聖霊】と共にイエスを【証しする人】となることができたらいいですね。
ルカによる福音書24章46-53節
2025年6月1日