三位一体主日・聖霊降臨後第1主日

父なる神から遣わされた御子イエス・キリストによる地上での活躍の意味を弟子たちにわからせるのは聖霊です。つまり「御父(神)→御子(イエス・キリスト)→御霊(聖霊)」という一連の愛の働きは二千年前に弟子たちの歩みを飛躍的に聖なるものへと刷新させました。神が全人類に対して御自分を明らかに示す(啓示)ときの歴史的順序が、「御父(神)→御子(イエス・キリスト)→御霊(聖霊)」という一連の愛の働きなのです。
そして弟子たちは、神から他の人々のもとへと遣わされて福音(よき知らせ)をあかしする使徒として前進しました。その宣教の活動は、聖パウロによるローマの信徒への手紙で鮮やかに語られました。使徒たちと出逢った相手は「聖霊によってキリストをとおして御父へ」と成熟しました。聖霊は御子イエス・キリストの存在意義を明らかに相手に実感させ、御子を理解した人は御子が示した御父への旅を始めることになります。人間による神への信頼は「聖霊によってキリストをとおして御父へ」という順序で深まるのです。
①「御父(神)→御子(イエス・キリスト)→御霊(聖霊)」(御父は御子をとおして御自分を現わし、御子のことをあらゆる人間に理解させるために聖霊が遣わされる)という啓示の道行きと②「聖霊→御子→御父」(聖霊によってキリストをとおして御父へ)という信仰覚醒の道行きとは、ちょうど壮大な救いの歴史における往還運動(①⇔②)になっています。常に相手とともに生きる交流のよろこびの姿そのものが神の活動の仕方となっており、私たち人間もまた神の子として神の交流の素質をいただいて、他者と関わることで「相手を尊重して、ともに生きる愛の迫力」を実現することになります。他者とともによろこぶ連帯のすがたを信じること(=望むこと=愛を込めて生きること)が私たちの急務です。「おたがいに尊重し合いつつも心をひとつにして一致する連帯感」が、「三位一体の神」という神学用語に集約されています。しかし、知識として暗記するよりも、他者とともに交流して生きることのほうが三位一体の神のすがたを生きることにつながります。

ヨハネによる福音書16章5-15節

2025年6月15日

主日の福音から

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