聖霊降臨後第7主日

主の祈りの一言一言を、自分の内側にしみこませるように祈ります。すると私の内に、このミッションを御父の導きによって、御父と共に歩んでいくこと。必要な恵みはその時必ず与えられること。仲間とゆるしあいながら、識別しながら歩んでいくことなど、具体的な自分の姿勢が観えてきました。そして、いつもこの生き方ができればどんなにいいだろう、と思いました。社会の只中で生きる忙しい私たちは、神とのつながりを見失うことがあります。そのような時、立ち止まり、ゆっくり深呼吸し、「主の祈り」を祈ってみようと思います。その時必要な恵みが、聖霊によって必ず与えられ、また新たに神と共に、仲間と共に希望に向かって、歩むことができることを信じます。
イエスは、「だれでも求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる」とおっしゃいます。また、「まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と教えてくださいました。この御言葉を心にとめながら、祈るなら、私たちは毎日の祈りをどのような在り方で祈ればよいのかが少しわかってきます。
すると、まず暗闇の中を走る人が観えてきました。イエスの時代は盗賊もいただろうし、怖くはなかったのだろうか?と思い巡らしていると、この人の「友の空腹を満たしてやりたい」という深い愛が伝わってきました。そして、この人は命のパンを持っている人を知っていて、その家をめざしてまっすぐに走っています。恐れや困難をかかえながらも、愛をもって命のパンを探し求めて、神の元へとまっすぐ進む姿。それは美しい祈りの姿だと感じました。また、すぐに願いが聴き入れられなくても、自力で門を開けようとはせず、門をたたき続ける「しつように頼む」姿も真に謙遜な祈りの姿だと感じました。
天の御父は、今、「求めなさい。探しなさい。門をたたきなさい」と私たちに呼びかけておられます。御父の慈しみと愛に信頼し、今日も共に祈ってまいりましょう。

ルカによる福音書11章1-13節

2025年7月27日