聖霊降臨後第11主日
「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。そして、先に使いの者を出された。」イエスのエルサレムへの旅とは、イエスが最期を迎えることになった旅を意味した。今日の福音から、エルサレムへ向かって進んでおられるイエスの旅が、新しい段階に入る。そのテーマは、イエスの歩む道はキリスト者にとってどのような意味を持つのか、ということであり、言いかえれば私たち一人一人が、神の国へ入る条件とは何かを問われているのである。
「すると、『主よ、救われる者は少ないのでしょうか』と言う人がいた。」これはこの時代の人々の関心事であり、ルカの教会の課題でもあった。イエスはその人の質問に応えないし、“最後の審判” の結果への普及もない。ただ、私たちに“今”おかれたところでの、努力と回心へ呼びかけるのである。「あなたも、狭い戸口から入るように務めなさい」と主は言われる。
イエスは「閉まる戸」のたとえで、(神の国の)家の主人である神と、入ろうとしている人々との対話を語る。「御主人様、開けてください」と言っている人々は、イエスを受け入れなかった当時のユダヤ人だけではなく、ルカの教会内で「一緒に食べたり飲んだりして、主イエスの教えを受けた人々」も含まれている。イエスとの表面的な関わりだけでは、救いの道にはつながらないのだ。イエスは、「不義を行う者ども、皆わたしから立ち去れ」と戒める。「神の国の(正)義」を行うことが神の国に入る条件である。
戸口が狭くても、対比的に、東西南北から、多くの者が神の国に入り、神の愛のドリームが実現される集いに加わることもできる。旧約の預言者たちが既に預言した、“異邦人も神の宴会に招かれる”ことは、ルカなどの教会において実現されている。すなわち、そこでは、後の人(異邦人)で先になる者があり、先の人(ユダヤ人)で後になる者もある。
使徒パウロのことばを連想する。「私たちはキリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」
ルカによる福音書13章22-30節
2025年8月24日