聖霊降臨後第12主日
今日の福音は、イエスが私たちに「婚宴に招待されたら、末席に行って座りなさい」と勧める場面を描いている。宴会の時のマナーなのだろうか。それとも、日常から身につけておくべきキリスト者としての態度なのだろうか。宴会の席という、この話だけならその両方とも読み取れる。
もしも宴会の時のマナーという話であれば、末席について、日本人は得意だ。
では、日常から身につけておくべきキリスト者の態度ということになればどうだろう。こちらは少々考察が必要である。日本では、へりくだり過ぎて返って無礼ということを「慇懃無礼」という。音で「いんぎんぶれい」と聞けば、多くの人は「あ、あれだな」と思うのではないだろうか。「あの人はきちんとしていが、いんぎんぶれいだ」と言って、うわべは丁寧に振る舞いながら実は相手を見下し、尊大な性格であることを表現する。日本社会に長年生きていれば、一度や二度、こういう表現は聞いたことがあるだろう。
「慇懃無礼」の対義語は「横柄親切」「誠心誠意」。「あの人は『おうへい』な人だがとても親切だ」という言い方も聞くし、また、「あの人は、実際の行いも、ふるまいも、すべて心の底から行っている人だ。『せいしんせいい』とはこのことだ」という言い方も聞く。
私たちは心の底から知っている。キリスト者でなくても、人が心の底から誠の心、誠の意志をもって行動している姿がいかがに美しいかを知っている。要は、うわべだけで、人のことは分からない、心の目で見えない心を感じ取ることが必要なのだ。
しかし、ここから先はもっと肝心である。イエスは、あなたにお返しのできない人を招きなさいと付け加えている。「貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい」と。つまり、キリスト者に求められているのは、ただ、心の底から浄らかでいなさい、ということでは足りない。具体的な、つまり、リアルなあなたの行動が求められる。
ルカによる福音書14章1、7-14節
2025年8月31日