顕現後第4主日

「幸せ」は人によって違います。たとえば、自分が欲しかった自動車を購入できた時、美味しい食事をお腹いっぱい食べた時、好きな人と結婚できた時、あるいは、美しい音楽を聞いている時、長年患っていた病気が癒やされた時など、人が【幸せ】を感じるのは、十人十色と言ってもいいでしょう。
きょうの福音は、イエスが群衆とともに山に登られ、教えられた『山上の説教』と呼ばれる場面です。イエスの教えは、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」という言葉から始まっています。どうして「心の貧しい人は幸い」なのでしょうか。私たちの常識では、「貧しい」より「富んでいる」方が幸せを感じます。このことは、今に限らずイエスの時代でも同じだったことでしょう。群衆は、イエスのこの教えを聞いたとき、「そんなことはないでしょう」と疑問に思ったのではないでしょうか。
イエスは、決して物質的なこの世の「幸せ」について語られたのではないようです。イエスのところについてきた人々は、病気の人や徴税人や周りから蔑まれていた人、ローマ人や一部の裕福な人たちに搾取されていた人など、裕福な人はいなかったのではいでしょうか。そのような「貧しい人」に対してイエスは、「心の貧しい人々は、幸いである」と言われ、その後に「天の国はその人たちのものである」と言われます。イエスの教えは、【天の国】の状態、おん父との交わりの状態について言われているのではないでしょうか。
イエスは、最後にも「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」と言われます。ここでも【天の国】とあります。イエスは、一人ひとりがおん父とともにいること、おん父へ向かう心にある時に【幸せ】であると教えられているのではないでしょうか。
私たちが日常の生活の中でさまざまな苦しみ、悲しみの中にあっても、イエスはいつもともにいてくださり、おん父へと導いてくださいます。私たちは、そのイエスの愛に信頼しながら歩んでゆくことができたらいいですね。

マタイによる福音書5章1-12節

2026年2月1日

主日の福音から

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