大斎節第2主日
ともにいることで、人を救う神。 イエス・キリストをとおして、 父なる神はキリスト者ひとりひとりに 手を差し伸べています。 どんなに危機的な状況であっても、イエスは相手とともにいます。
相手が裏切りをはたらいたとしても。相手が敵になったとしても。決してあきらめずに。
イエスは、どんな相手ともいっしょに歩みます。それは、十字架につけられたイエスの姿を眺めれば、よくわかるはずです。徹底的にともにいる神の愛情深い姿がイエスの十字架上のいのちがけのふるまいをとおしてはっきりと示されています。
だからこそ、 イエスはニコデモに対して、 あらかじめ 十字架の秘義を示しているわけです。 どんな人であっても、 イエスの姿をとおして示された 神の愛情に気づくときに、 そして徹底的に イエスとともに生きるときに 神とともに生きていることに なるからです。
神とともに生きる人は 決して滅びません。 どんな相手の欠点や弱さをも つつみこんであたためる 神の度量の広さの前では、 人間は究極的な安堵感を 得ることになります。 そのなんとも言えないほどの 喜びの状態に安らうときに、 人間は「永遠のいのち」を実感しています。
イスラエルの神は、弱い立場に置かれた人々を大切に護ります。しかし、相手が傲慢になって、神を嘲笑する場合は厳しく責任を問います。
そのような厳しさは、ある意味で教育的な配慮です。相手が自らの悪行を反省して意識的に神のもとへと立ち帰ることが大事だからです。相手が神に対して、とことん信頼できるかどうかが問われています。
それは、 まさにパウロもエフェソの教会の キリスト者たちに対して 強調していることに他なりません。 神に対する信頼があるかどうか、 が肝要なのであり、 自分を誇って傲慢にふるまう 自力主義的な行為者は 反省を迫られつづけます。
ヨハネによる福音書3章1-17節
2026年3月1日

