大斎節第3主日

今日の福音で、ヨハネはイエスとサマリアの女の人との出会いを語っています。この出会いの物語の中で心打たれるのは、 貧しいイエスが貧しいサマリアの女の人に出会うということです。 イエスは旅に疲れて井戸のそばに座ります。食べ物もなく、水をくむための物もなく。そのイエスのところに、女の人が水をくみに やってきます。正午ごろのことだ……とヨハネは語りますが、女の人が正午に水をくみに行くというのは、人目を避けなければならない理由があったに違いありません。生きてきた歩みの痛み、いたらなさ、失敗感などの重荷をもったまま、井戸の水をくみに行く女の人 ……その人にイエスは出会います。

イエスは女の人に、「水を飲ませてください」と言われます。 イエスなら、この女の人がどのような生き方をしているのか、ひと目で分かるはずでしょうが、そのようなことには何も触れず、ただ、「水を飲ませてください」と言われるのです。そして、イエスと女の人との対話が続くうちに、イエスはご自分の神秘を明かされます。
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」
わたしたちも、イエスと共に歩む旅路の中で、イエスが示してくださる“生きた水”が、このもろさと弱さと不完全さをかかえたままのわたしたちの内に、泉として流れ出すことを願いつつ、祈りつつ、信じつつ、歩んでいきたいものです。

ヨハネによる福音書4章5ー26、39ー42節

2026年3月8日

主日の福音から

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