復活節第5主日
私たちの人生は常に喜びにあふれているのではなく、時にはすさみや苦しみにさいなまれることがあります。人間の想いを超え、はるかに力の及ばない出来事に遭遇するとき、どうして私だけが・・・という不安や憤りに包まれます。
でも、私たちは決して孤独ではありません。イエスが私たちをみなし子にはしておかないからです。真理の霊が私たちと共に、私たちのうちにいてくださるからです。真理の霊は私の弁護者です。弁護者は窮地の時に私たちに言うべき言葉を語らせ、さ迷い歩く時には正しい道へと導いてくれます。私は一人ではありません。真理の霊、弁護者は聖霊です。自分の想いからなかなか解放されない私たちですが、すべては今、ここから始まります。「聖霊きてください、聖霊きてください」と祈りましょう。
今日こそ、すべてを主にゆだねましょう。ただイエスを愛しさえすればよいのです。イエスの掟を受け入れ、それを守ること、自分を捨てて主に従うことだけが求められています。聖霊と愛に満たされた時、私たちのすべては感謝に変わります。何もできない自分を感じれば感じるほど、無力な私を生かす 神の愛に圧倒されます。もはや、生きているのはわたしではありません。私のうちにイエスが生き、神の愛が私を支配し、私自身もまわりの人も物事もすべては神からのものであることを悟ります。誰かのために働く時、働ける相手の存在が有り難く、ただ相手の平安と幸せを願います。働けることがありがたいのです。たとえ「わたし」という存在が邪険に扱われるときがあっても、主が共にいてくださる恵みと喜びに感謝せずにはいられません。感謝は謙遜です。自己主張をせず、従順にありのままを受け入れます。深い喜びのうちに人生のすべてが祈りに変えられます。祈りは命です。そこにイエスがおられます。
ヨハネによる福音書14章15-21節
2021年5月2日