復活節第6主日

今日のイエスの言葉から伝わってくるのは、イエスと御父と聖霊の親しい交わりに招き入れられた人間の幸いです。
まず、イエスを愛するということはイエスの言葉を守ることだという宣言がなされます。確かに、小さな子どもが大好きなパパやママの言いつけを一生懸命守ろうとするように、誰かを愛し、信頼するとき、その人の言葉を守ろうとすることは、ごく自然なことです。そして、イエスを愛し、イエスの言葉を守る者のところには、御父とイエスが共に住んで下さるという、とんでもない約束が続きます。「イエスを愛する」とは、イエスの言葉を守るという行為によって、イエスと御父の愛の循環の中に入れて頂くということなのでしょう。人間が神を愛する前に、神が人間を愛してくださっており、人間から神への愛が一方通行で終わるということはあり得ないのです。
イエスの言葉を思い出させて下さる聖霊の派遣も約束されます。イエスを信じる者がイエスの教えを忘れる心配をする必要はないということです。その時に必要なことは、その時に教えて頂けます。聖書の他の箇所に「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる」(ルカ12:11-12)とあるのも、同じことでしょう。
今日も私たちは、このとんでもない「父と子と聖霊の愛と知恵の交わり」に入るように招かれています。計り知れないほど大きな愛と配慮が、私たち一人ひとりの毎日を囲み、支えて下さっています。それを信じ、イエスの言葉を守ることによってその愛の中に入れて頂くとき、何が起きても揺るがない「主の平和」を体験することになります。
十字架の死を前にしたイエスの最後の言葉として伝えられている今日の福音箇所を繰り返し味わい、イエスが約束して下さった愛と平和を生きることが出来るよう、心から祈り求めたいと思います。

ヨハネによる福音書14章23-29節

2022年5月22日

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