復活節第5主日

「互いに大切にし合っていなさい (互いに愛し合いなさい )。」イエスの必死の呼びかけが弟子たちの集まりのまっただなかに響きわたります。
しかし、弟子たちはイエスの本気の語りかけを、まだじゅうぶんには理解していません。イエス・キリストは自分に降りかかる死の意味をよく理解しています。だからこそ、必死に最後の呼びかけを弟子たちに浴びせかけるのです。キリストの切実な語りかけと弟子たちの鈍感さとが、今日の福音朗読箇所から伝わってきます。
弟子のひとりであるユダもまた別行動をとりはじめます。ユダも人間的にはかなり悩んでキリストと向き合ってきたのでしょう。真剣に考えたうえで、ユダは別の道を進みます。イエス・キリストはユダを引きとめませんでした。ユダの真剣な悩みの時間のすべてを受けとめているからです。イエス・キリストは底抜けにやさしいおもいをもってユダの行く末を案じています。相手を決して束縛することなく、去らせるキリストの寛大なおもいは、人間による物事の裁量をはるかに超える愛情のわざと結びついています。
人間たちの冷淡さと勝手さが交錯する現実において、その場からキリストが栄光の姿をあらわします。相手を祝福してやまない寛大な愛情のあふれが、最後の晩餐の広間から歴史を変革してゆきます。キリストは、最悪な状況をもちいて最高の救いのわざを実現する実力者であるという意味において「栄光」をあらわすのです。「栄光」とは「愛の重み」のことです。相手を真剣に大切にしつづける本気の姿勢は、重大な出来事として決してすたれることなく、永遠の輝きを放ちます。

ヨハネによる福音書13章31-35節

2022年5月15日

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