復活節第3主日

ともに歩み、聖書を理解し、パンを裂く。このエマオへの旅の状況は、実は聖餐式のなかで繰り広げられる祈りの出来事と同じ構造を備えています。

現在の聖餐式もまた、ともに歩み、聖書を理解し、パンを裂く出来事を引き継いでいるのです。復活したイエス・キリストが弟子たちとともに歩み、聖書を理解し、パンを裂く出来事が、聖餐式の現場で今日もまた実現します。二千年前の歴史的な出来事が単に過去のことがらなのではなく、むしろ今日の現実なのであり、将来への希望の始まりでもあるわけです。過去と現在と未来とは、復活したイエス・キリストの出来事においては連続しつつ時空間をはるかに超えて実現します。
聖パウロは「これをわたしの記念として行いなさい」という、パンと葡萄酒とを自分自身のからだと血として分かち合うイエス・キリストの呼びかけを記録しました。単にイスラエルの民のあいだだけではなく、むしろ全世界のあらゆる民族にも開かれた、幅広い出来事としての最後の晩餐の際の命令と、復活のイエス・キリストによる弟子たちとのともに歩む仕草とは、連続する「アナムネーシス」(主による救いを想起しつつ記念すること)として現在の聖餐式の中核となっています。聖餐式の中心部分である感謝聖別のなかに「想起記念」(アナムネーシス)が組み込まれるとともに、「聖霊のへりくだりとしての降臨」(エピクレーシス)の祈りとが相乗効果をもたらすように響き合って、御父である神への感謝の祈りが深まります。
イエス・キリストは、人間たちの悪意によって滅ぼされるような過去の者などでは決してなく、むしろどのような相手をも、尊い本来的な人間として活かす「いのちの源」です。人間たちの悪意のまっただなかで落ち込んで「暗い顔をして立ち止まった」弟子たちは、復活したイエス・キリストによる近づきを身に受けて、「私たちの心は燃えていたではないか」という新たな状態へと転換することになりました。今日の私たちもまた、戦争の冷めることのない残酷な世界情勢のまっただなかで暗い顔をして立ち止まりがちではありますが、その現場にこそイエス・キリストが近づいて新たないのちの道を実感させるのです。

ルカによる福音書24章13ー35節

2026年4月19日

主日の福音から

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