顕現後第3主日
今日の福音に「イエスはカファルナウムに来て住まわれた」とあります。この箇所を読んで、私はイエスの宣教への強い思いを感じました。洗礼者ヨハネの「悔い改めよ。天の国は近づいた」という教えと洗礼によって、人々の間に新しい希望が広がったこの地で、腰をすえて宣教を始めようというイエスの力強い思いが伝わってきます。またイエスの澄んだまなざし、一歩一歩をしっかりと歩むその姿まで見えてきます。
イエスは宣教にあたり、神でありながら人間の協力を求められます。シモンとアンデレに「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言われ、次にヤコブとヨハネもお呼びになりました。彼らは「すぐに従った」とあります。自分たちが貧しい漁師であること、父親や家族のこと、今着ているものはぬれているし、体も汚れている。等々気にならなかったのだろうか?と思い巡らしていると、「暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰に住む者に光が射し込んだ」というみ言葉が心に入ってきました。彼らは、イエスの姿、まなざしを見、声を聴いたその瞬間、「大きな光を見、光が射し込んだ」という体験をしたのではないでしょうか?そこには自分の都合や思い煩いなど入る余地のないほどの、神からの招きと聖霊の導きがあったのだと感じます。
今日「悔い改めよ。天の国は近づいた」と聴いた私たちは、神の国の福音を宣べ伝えるためイエスにどう協力したらよいのでしょうか。イエスの弟子になったシモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはガリラヤ湖畔でのごく普通の生活の中で、イエスに呼ばれました。今を生きる私たちも、自分のごく普通の生活の中で、今を共に生きるイエスと出会う恵みを願いながら聖書を開き、み言葉の内に私への呼びかけに耳を傾ける静かな祈りの時を持つことが必要なのだと感じます。そして「わたしについてきなさい」というイエスの声が聴こえたら、聖霊の助けを願いながら、すぐに従いましょう。祈っていてもイエスと出会えない日々が続くかもしれません。しかし長い間漁師だった彼らがそうであったように、ごく普通の生活の中で、大きな光を見、光が射し込む体験は、今日、訪れるかもしれません。
マタイによる福音書4章12-23節
2023年1月22日