顕現後第4主日

「山の上に登る」という人の行動は、何を意味するのでしょうか。
象徴的に考えると、やはり、日常性からの逃避、撤退、離脱でしょう。あるいは、運動生理学的に考えるならば、足腰の鍛錬、良い空気を吸いに行く、リフレッシュということになるでしょう。また、文学的、聖書学的に考えれば、「山」ですから、神との出会いの中核ということになります。いずれにせよ、「山に登って、腰を下ろされ、弟子に向かって口を開いて、語りかけられるイエス」、その姿を心の奥の映像で観想するだけでも十分霊的な時間が過ごせそうです。
「山上の説教」は、マタイの福音書5章〜7章全体にあたります。人としての生き方、神への祈り方、そして、神と人との関係性、人と人との関係性を学ぶ根幹がここに述べられています。2023年、新しい年を迎えた1月もあっという間に終わろうとしている最後の日曜日。ゆっくりと、いえ、30分もあれば読めると思います。「山上の説教」全体を読んでみませんか?すると、今日の朗読箇所である「心の貧しい人々は幸いである、天の国はその人たちのものである」という真福八端の意味がもっとよくわかります。一年をどう過ごすかを考えるための良い確認の時となると思います。
わたしたちは肉体を持った人間としてこの世を生きるということでしか存在できません。生きるということ…… それは、思索し、感情を動かし、汗水流して、神さまの家を作り上げていくことです。「(神さまの)岩の上に家を建てた人」(マタイ7:24)となるために、たぶん、相当ものごとを考察しなければならないのだと思います。ましてや、物凄いスピードで変化している現代社会において、世の中の流れについて行くので精一杯になってはいないでしょうか。自分の周辺ばかりが動いて、自分は止まっているということになっていないでしょうか。動かしましょう、心を。働かせましょう、考えを。山の上にはイエスと弟子たちがいろんな話をしています。互いに質問し合い、答えを求め、語り合いましょう。

マタイによる福音書5章1-12節

2023年1月29日

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