聖霊降臨後第6主日

私たちは、日々何らかの「ストレス」を感じながら生きています。今の社会は、職場、学校、教会共同体、また、本来なら安らぐはずの家庭でさえも、ストレスを感じることがあるのではないでしょうか。
もしかしたら、イエスの時代にもそうだったのかもしれません。今日のみことばではありませんが、イエスが「群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた」という場面があります(マタイ9:36参照)。彼らは、当時の社会の中でストレスを受け、心身ともに疲れ果てていたのではないでしょうか。
今日のみことばでイエスは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとにきなさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と言われています。
イエスは、人々が当時の社会の中で一生懸命に働き、それでも生きるのに精一杯な生活をしているのをご覧になられ、憐れに思われたのでしょう。イエスは、そのような人々に「だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」と声をかけられます。人々は、このイエスの声を聞いて安らぎを覚え、ほっとしたのではないでしょうか。
イエスは「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい」と言われます。イエスが言われる【軛】は、農耕で使う道具ではなく、彼らが「守らなければいけない」と思っている【律法】のことではないでしょうか。イエスは、律法学者やファリサイ派の人々が言う【律法】が人々のストレスになっていることをご存知だったのでしょう。ですから、イエスはご自分の【軛】を負って、わたしに【学びなさい】と言われたのです。
私たちは、日常の中で、自分を苦しませている【軛】というストレスを一旦脇に置き、イエスの胸の中で癒される時を持つことができたらいいですね。

マタイによる福音書11章25ー30節

2026年7月5日