聖霊降臨後第5主日

「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」当時の社会の反対やユダヤ教の反発を受けながら生きていたキリスト者共同体に、このイエスのことばを思い起こさせ、福音宣教の使命に生きるよう励ましのことばを送っている。地上のイエスを囲んだ男性や女性の弟子たちは、限られた小さなグループであった。その「隠れたところ」から、恐れずに公に宣教する時代が訪れたとマタイは訴える。
マタイは今日4つの文章でイエスに従うことについてメッセージを伝える。一般論ではなく、実際に迫害のただ中にあったときに、もし、それがイエスに従い、証しすることを妨げるならば、いちばん親しい家族関係でさえも、キリストのために後回しにしなければならない。キリストの弟子でいることを他のすべてのことよりも優先すべきであろう。
非常にきびしい要求であるが、このことによってすべての人との新たなつながりが生まれることになる。イエスに従うためには犠牲がともなうことがありうるのだ。 弟子は、イエスのように自分の十字架を担うことを覚悟すべきである。“真の命”を得られるのは、キリストの道を歩むことによってのみ可能となるからである。
最後の文章を、著者は “遣わされた人々を受け入れる” テーマで結ぶ。ここで述べられていることは、キリストの名によって派遣された人々をもてなすだけではなく、彼らの教えに心を開き、それに従って生きることをも意味している。
「小さな者」とは、当時の社会や共同体のもっとも弱い人々(子供、貧しい人々やすでに迫害の犠牲になった人々など) のことを指していると思われる。
自分の命を失うとは自己嫌悪を意味するのではなく、キリストに従うことであり、それはキリストと出会った喜びの体験から来る本当の自己実現への道となる。
復活したキリストが今、ここで、 私たちにも言われる。「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」

マタイによる福音書10章34-42節

2026年6月28日