聖霊降臨後第2主日

“いけにえではなく憐れみを”、「新しい時代にふさわしい目を持たなければならない」という強い思いがにじむ言葉だ。いけにえに代表されるさまざまな掟はイエス様の目から見ればもはや“こだわり”でしかない。エジプト脱出後すでに1200年も過ぎた当時、掟はあのエジプト時代をほうふつとさせるほどに人々を不自由にしていると感じたのがイエス様。この視点は、現代の信者にとってもいわば信仰生活の黄金律だ。
いけにえが言わんとする掟は形を変えて私たちを縛っている。教会内の習慣、伝統にはじまり、個人的にも身についた習慣や生活様式などは容易に手放せるものではない。しかし、絶対的なものでないことも分かっている。
こうしたことが、自分をも周りの人をも不自由にしていると気が付くのは難しい。だから、人間関係に亀裂を生じることさえある。
形ではなく、心の姿が神様につながっていることが何よりも肝要。そのことを知るのが信仰であり祈り。これもまた、難しい。だから、孤独の祈りで神様につながる練習は欠かせない。
「形ではなく、心の姿が神さまにつながっていることが何よりも肝要である。」ということが大切になってきます。心が神さまにつながっているということはどういうことなのでしょう。形だけは、神さまに繋がっているようにふるまっていても、神さまのことを忘れてしまって、自分本位に生きていることがとても多い。形だけは信仰深いようにふるまっていても、それが自己満足のものであったり、また周りの人に対するアピールであったり、そういう振る舞いを自分もしていると感じることが正直あります。
自分の信仰生活を振り返ってみたらどうでしょうか。

マタイによる福音書9章9-13節

2026年6月7日