復活節第4主日
イエス・キリストは人びとに対して御自分のことを「良い羊飼い」として説明します。そしてイエス・キリストは「わたしは羊のために命を捨てる」とも述べています。つまり、イエス・キリストは、いのちがけであらゆる人を導いており、いざというときは御自分のいのちを献げてまでも守り抜く覚悟をもって生きているのです。愛情をこめて、相手との信頼関係を深めようと必死の覚悟で、いのちをかけるイエス・キリストの姿勢は、御父である神による人間への愛情と信頼を明確に示しています。
これほどまでに責任感のある導き方を実行できるイエス・キリストの愛情深さは、ひとえに御父である神に由来しています。そのことは使徒ヨハネの手紙が明確に教えてくれています。「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい」というよびかけの文章からわかります。御父からまかされたからこそ、独り子のイエス・キリストは責任を明確に果たすだけの力の込め方を日々実行に移せるのでしょう。
あらゆる人は迷いつづける羊のように、頼りなげに日々を生きています。すぐに迷子になって危険な状況におちいる羊の弱さは、まさに愚かな人間の現実を見事に示しています。そのような不安定さのなかで絶えず困惑しているわたしたちに対して、いかなるときも、最後まで見棄てることなく徹底的に付き合ってくださるのがイエス・キリストです。そのことを使徒言行録がペトロの説教を記録することで伝えています。「ほかのだれによっても、救いは得られません」というペトロの確信に満ちた叫びは、イエス・キリストの徹底的な責任感を主張するためにあげられたものです。誰もがわたしを見棄てたとしても、イエス・キリストただおひとりだけは決してわたしを見棄てない、という確信を、ペトロは教会共同体の代表者として、何としても強調しておきたかったのです。
ヨハネによる福音書10章11-16節
2024年4月21日