聖霊降臨後第22主日
ある律法の専門家がイエスに尋ねる。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」。
イエスはこの問題に答えていない。なぜなら、イエスは、神と人とのかかわり方こそが、すべての掟において重要であると考えているからである。律法の専門家がイエスを試す。彼はおそらくイエスに“重要な掟”と“重要でない掟”とを区別するための基準を求めているのだろう。区別するためには律法の優れた知識が必要であると考え、イエスがそういう知識をもっているかどうか試そうとしている。
イエスは旧約聖書の申命記6章5節を引用する。人間がもっている人格のすべての能力のなかで“愛する”ことは一番重要な掟である。旧約聖書において“神を愛する”ことと “神の掟を守る”ことは同一であった。 神を愛することに他のすべての掟が由来するからである。しかし、“神を愛する”と“隣人を愛する” を合わせる表現は、おそらくイエスの時代まではなかったと思われる。
「これと同じように」とは “神への愛”と“隣人への愛”は同一のものであるといっているのではなく、両方の本質や重要性が同じようなものであると示唆しているのである。「自分のように愛しなさい」とは自分を愛することを前提にしている。 レビ記では「隣人」は身内の者、同胞や同国民に限定されるが、マタイ福音書における「隣人」とは「すべての他人」を意味し、その限定は限りなく引き伸ばされる。イエスにとって、(隣)人を愛することは、神に愛されている“息吹”をいただき、その愛の息吹を他の人々と分かち合い、人々が喜びのニュースとして体験できるように生きることであった。 父なる神のように、イエスは出会うすべての人が自分よりちょっぴり大事であり、友と敵をアガペーの愛で自分のように愛していた。最後の晩餐の時にイエスは弟子たちに言う。 「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」 (ヨハネ13:34参照)。 主イエスは、私たちにも、「神に、そしてわたしに愛されている喜びを、隣人を愛することによって、喜びのニュースとして分かち合い、体験させなさい」と言われる。
マタイによる福音書22章34-46節
2026年10月25日

