諸聖徒日・聖霊降臨後第23主日
私たちにとって「天の国」とはいったいどういう所なのでしょう。新約聖書の中でイエスは、たびたび「天の国は……」と たとえ話を語られます。このように考えてみますと、「天の国」というのは、亡くなってから行く所ではなく、みことばの中で「天の国」というのは、三位一体の神を中心とした信仰共同体と言ってもいいのではないでしょうか。
今日の福音は、『真福八端』と言われるものです。このみことばの初めと終わりの節の中に「天の国はその人たちのものである」という言葉があります。イエスは「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人々のものである」と言われます。他の7つのみことばもそうなのですが、どうして「心の貧しい人々」「悲しむ人々」……「義のために迫害される人々」は幸いなのでしょうか。
これらの8つのみことばは、私たちが思う「心の貧しさ」や「悲しさ」ではなく、霊において、もしくは、霊的な「貧しさ」「悲しさ」なのです。霊的に自分たちの心の貧しさを持っている人は、高ぶることをしませんし、神さまに頼る他には生きていけないことを知っている人です。ですから神さまは、その人に「天の国」の恵みをふんだんにお与えになられるのです。
次の「悲しむ人々」は、霊的に悲しんでいるので、神さま自らがその人々を慰めてくださり、「幸いである」となるのです。最後の「義のために迫害される人々は、幸いである」とありますが、この「義」というのは、神さまの「義」であり、「救い」という意味のようです。ですから、神さまの「義」を広めるために惜しみなく働く人への迫害には、さらに豊かな神さまの恵みが注がれるのです。
私たちは、このみことばを1節1節祈りのうちに味わい、深めることで、イエスの豊かな恵みをいただくことができることでしょう。この恵みを、日々の糧として歩むことができたらいいですね。
マタイによる福音書5章1-12節
2026年11月1日

