三位一体主日・聖霊降臨後第1主日
キリスト教の洗礼を受けていなくても、三位一体という言葉は聞いたことはあるかもしれません。三位——3つの位格、ペルソナ。ペルソナとはパーソン、人格ともいえるので、なにか、モノや動物とは区別され、我々人間とも人格的なコミュニケーションの取れる「誰か」と考えたら良いでしょう。
ペルソナという言葉自体も「顔を持つ」という語源から生まれたことばです。人間だからこそ「顔を持っている」と意識をし、顔と顔を見合わせないこともできれば、顔と顔とを見合わせることもできるのでしょう。お母さんが赤ちゃんを抱く時、赤ちゃんの顔をじーっと見つめます。赤ちゃんも自分の目をお母さんの目に合わせようとします。赤ちゃんがニコッと笑えば、お母さんも笑う。顔と顔を合わせることは人間にとってかけがえのないこと。
父と子と聖霊、この三者が一体であるという感じ——分かち難く一つに結ばれているので一体といいます。かつて、三者の結ばれ方がどのように結ばれるのかという議論もありましたが、最終的には、「父と子と聖霊の交わり」という三位一体の教義に落ち着いていきました。我々の先祖たちが彼ら一人一人の信仰経験から、長年、対話を行い、収束した結果の父なる神と子なるイエスの交わりから発出される聖霊という一体感。この一体感の味わいについて、我々は想像することしかできませんが、実に先ほどのお母さんと赤ちゃんとの関係にも表現したように、目と目を合わせた深くて濃い人格の関係であることは間違いありません。
イエスさまが我々に「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」とおっしゃる時には、我々一人一人の目を見つめてくださったことでしょう。
わたしの方からも、この世に生きる顔を持つ誰かに向かって「あなたと共にいます」と伝えたい。聖霊の発出の息吹を受けて。
ヨハネによる福音書3章1-16節
2021年5月30日