聖霊降臨日

私たちは、「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」……と時刻によって違ってきますが、人と会う時に【挨拶】を交わします。しかし、全く知らない人には、よほどのことがない限り挨拶をすることはありません。以前、「『挨拶をするのは、私はあなたの敵ではないですよ』という意味をあらわすことです。」ということを聞いたことがあります。
イスラエルでの挨拶は、「シャローム」と言います。これは、「平和」という意味です。復活されたイエスは、弟子たちの真ん中に立たれて「あなた方に平和があるように」と言われました。弟子たちは、イエスがユダヤ人たちから捕らえられ、十字架にかけられた時には、イエスを裏切り、逃げてしまっていました。イエスが墓から消えてしまったと知った弟子たちは、ユダヤ人たちを恐れ自分たちがいた場所の戸の鍵を閉めて集まっていました。しかし、そんな彼らの真ん中にイエスは立たれ、「恨み」や「叱咤」ではなく、「シャローム(平和)」だったのです。それも、イエスは、1回だけではなく2回、弟子たちに言われます。弟子たちは、喜びました。彼らの心は、今までの不安や後ろめたさではなく、今まで通りのイエスに出会い、自分たちを赦してくださったこと、愛してくださっていることを感じたのでしょう。彼らの心は、自分たちの罪深さ悔やみ、【謙遜】な気持に変わって行きます。イエスは、弟子たちに【息を吹きかけて】、「聖霊を受けなさい。」と言われ「罪を赦す権能」を与えられます。弟子たちは、自分たちの罪が赦された「喜び」に気がつきます。彼らは、自分たちがへりくだることで、人を赦すことができ、赦されることで「喜び」が生まれることを知ったのです。そこには、イエスの【いつくしみの愛】で包まれていると言ってもいいでしょう。私たちは、心が【平和】で【謙遜】の状態の時に、聖霊の働きに気がつくことができるのではないでしょうか。私たちの心が【傲慢】な状態にある時には【聖霊】の働きを必要としませんし、気がつくこともありません。私たちは、【聖霊】の働きを感じ、【聖霊】に満たされて歩んで行くことができたらいいですね。

ヨハネによる福音書14章8-17節

2021年5月23日