復活節第7主日

13日の木曜日は、昇天日でした。主イエス・キリストは神によって天に挙げられます。同時に、主イエス・キリストご自身も全力を尽くして神のもとへと上昇してゆきます。神の助力とキリストの実力とは、相まってひとつになります。その協働する情熱が、遺された弟子たちの心を躍らせます。「主の昇天」の出来事は、あらゆる人が心を燃やして神の愛の現実をかみしめるひとときを想い出させます。
イエス・キリストを裏切って自己保身に走った弟子たちが、いまや、主の凱旋を見送る仲間として確かに主の足元にたたずんでいます。聖書の主の昇天のの記事には、共通して主イエス・キリストの輝かしい栄光の姿を描くと同時に、遺される弟子たちの勇気ある更生の姿をも伝えています。ここからわかることは、「主の昇天」とは、立ち直りの出来事であり、再出発の慶事であるという、共同体の一致の姿そのものです。御父である神と御子イエス・キリストと弟子たちとが連携して、新たな何かが始まる、という希望の予感が今日の朗読箇所をとおして伝わってきます。
「主の昇天」の出来事は宣教活動の始まりの布告のひとときでもありました。そして、主イエス・キリストが神の右の座に就くときでもありました。神との深い一致をいっそう明確に示す、イエスの実力が確かに保証された出来事が、弱い弟子たちの人生をあくなき宣教活動へと駆り立ててゆくのです。宣教活動は、あらゆる人の困難や悩みをいやして立ち直らせる端緒となります。それは、つまり、救いの歴史の幕あけです。あらゆる人が確かに、神の愛の現実をつかみとる日々が始まる、という稀有な出来事が弟子たちの宣教活動によって、目に見えるかたちで証しされています。
私たちは、さまざまな困難によって打ちのめされ、独りで落ち込むこともあるかもしれません。しかし、二千年前に、弟子たちがイエスと関わって確かに立ち直ったという経緯を、いまこそ想い出す必要があるでしょう。今日も、なお、イエスは私たちを支えてくださるからです。

ヨハネによる福音書17章11Cー19節

2021年5月16日

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