聖霊降臨後第2主日

今日の福音書を読んでいるとイエスの話を聞きに、またイエスに会いに人々が大勢集まってきた様子が、まず目に浮かんできます。
実に大勢の人が集まったので、一同は食事をする暇もないほどだったとマルコは語っています。どのような人が集まっていたのか述べられてはいませんがあらゆるすべての人にイエスの福音・メッセージが伝えられ届けられるその有難さを感じながら、大勢の人がイエスに会いイエスの傍でその話に聞きいっていた様子が伝わってきます。そこで身内の人がやってきました。イエスを取り押さえに来たというのです。
「あの男は気が変になっている」と人から聞いたからです。また、頭であれこれと考える律法学者たちが来て「おの男はベルゼブルに取りつかれ、悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言ったりします。その彼らに対してイエスは憤ったり、またご自分の使命に対して弱気になったりなさらず“彼らを呼び寄せて”話しかけられます。このイエスの姿に、心打たれます。イエスは身内の人が人からの話を聞いて思い込む姿や、律法学者の考えの囚われをご覧になって、彼らを裁いたりなさらずに、そのままの彼らの姿をご覧になって“呼んで” “語りかけ”られます。
そして丁寧に、ご自分が神である天の御父のもとから来たことそして、天の御父のみこころは「赦し」であることを説明されます。
なんと、イエスの心は広く大きいことでしょう。
彼らへのイエスの願いは裁くことではなく、神であり人である「私」と真の出会いを体験して欲しい、その出会いによって、自分の囚われから解放され、神様の慈しみのまなざしのうちに生きてほしい・・・そのような願いだったでしょう・・・。と同時に、この世界に、悪の力がはびこり虚勢を張ることが事実ある中で神様の赦しの心が、悪に打ち負かされることは決してないということをそしてそのことを信じるようにとイエスは力強く伝えて下さっています。

マルコによる福音書3章20-35節

2021年6月6日