聖霊降臨後第4主日

神は嵐を鎮めます。これはヨブ記からわかることです。神は相手をかばい、護るために、必要以上の嵐が吹き荒れる現実を押しとどめます。
しかし、新しいものが生じるときには、駆り立てるほどの荒々しい力があふれだします。第二コリント書簡からわかることです。荒々しい力は物事を根本的に変革します。生まれ変わる人間の劇的な変化において、荒々しい力がみなぎるのは、新たな過ぎ越しの現実のまっただ中においてです。変化のあとは、おだやかな凪の状態が訪れます。
「イエスとともにいる」ということそのものは、安心感をもたらします。しかし、弟子たちはイエスのことよりも、まず常に自分たちの都合のほうを最優先して生きています。彼らは自分の都合でしか物事を見ていません。ところが、イエスの場合は、常に相手のことを最優先しています。決して取り乱すことなく、イエスは弟子たちのことをまっすぐにかばいます。ゆらぎがない、決然とした一貫性のある姿勢で、イエスは弟子たちを護ります。安定した配慮の仕方を心得ているのがイエスの特長です。
神の働きは、常に相手に向かいます。自分よりも、相手を最優先する神の根本的な態度は、神の子イエス・キリストによって、はっきりと弟子たちに対して圧倒的な仕方で示されています。弟子たちは、イエスの権威ある実力に驚きます。私たちもイエスのふるまいをとおして、神の圧倒的な権威を理解することになります。
この社会は、常に変転します。激しい変化が生じています。その変転の現実を確かに受け止めて、人間ひとりひとりを支える神がいます。そして、その神の思いを理解して、具体的に示す御独り子イエスが活躍しています。旧約聖書から新約聖書にいたるまでの壮大な救いの出来事は、一貫して神の安定した配慮を示します。その神のみ心を充分に生きたのがイエス・キリストです。

マルコによる福音書4章35-41節

2021年6月20日