聖霊降臨後第24主日
私たちは、誰でも幸せになりたいと望んでいます。しかし、この幸せも十人十色で人によって【幸せ】という感覚は、違うことでしょう。お金持ちになること、良い家庭を持つこと、素晴らしい景色や自然に触れることなど。では、私たちの【幸せ】とは、一体どのようなものなのでしょう。
イエスは、従ってきた人々の群れを見て山に登られます。そして、腰を下ろされ、口を開き彼らに始められます。イエスがとられた「腰を下ろし」という動作は、ラビが人々に教える時に行うようです。イエスのもとに集まった人々は、イエスのこの動作を見て、これから何か大切なことを教えられるのだと感じたことでしょう。イエスが最初に語った言葉は、「自分の貧しさを知る人は幸いである。天の国はその人のものである。」という教えでした。イエスに従ってきた人の多くは、病気を癒された人、周りの人から蔑まれた人、今の自分に満足できない人など、どちらかというと貧しい人たちが多かったのではないでしょうか。彼らは、このイエスの最初の言葉を聞いてどのように思ったでしょうか。イエスは、この貧しさを単に物質的なこととして言われたのではなく、「霊において貧しい人」と言われているようです。霊において貧しい人は、自分の力では限界があることを知っているのでおん父に信頼することでしょう。イエスは、そのような人に「『天の国』はその人のもの」と言われるのです。今日は、「天の国はその人のもの」という言葉となっています。そして最後の言葉は、「義のために迫害されている人は幸いである。」と言われています。この【義】とは、おん父から私たちに示された教えであり、導きであり愛と言ってもいいでしょう。私たちは、おん父の【義】に近づくにつれて、周りの人から迫害を受けたり蔑まれたりするということのようです。イエスは、そのような時こそが【天の国】であると、言われているようです。私たちが願う【幸せ】は、いつも三位一体の神と共にいることではないでしょうか。きょうのみことばの一節一節をゆっくりと味わいながら「私にとっての【幸せ】」を黙想していくことができたらいいですね。
諸聖徒日 マタイによる福音書5章1-12節
2021年11月7日