聖霊降臨後第23主日

今日の福音の「最も重要な掟」の逸話には前段がある。
イエスを取り巻くファリサイ派や、ヘロデ派の人々、律法学者やサドカイ派、あらゆる生真面目な人たちがイエスを取り囲み、イエスがどういう態度を取るか、その様子をじっと伺っている。最初は「皇帝に税金を納めるべきか?」の質問。次には「夫が次から次へと死んで、7人と結婚した女は復活の時、誰の妻になるのか?」という質問。ここには記されていないが、おそらく矢継ぎ早にイエスに向かって数限りない質問が投げかけられたことだろう。
この「質問コーナー」とも言える時間はとても大事な時間だと思う。
何かしら無駄だとさえ感じるイエスと生真面目な人びととのやりとり。なぜなら、答えはすでに分かっているではないか?イエスはどんな質問にもパーフェクトに答えていたに違いないから。いや、しかし、この質問コーナーの様子をじっくりと心の奥の眼で眺めてみたらどうだろう。そう、イエスは全ての質問にどのように答えていたのだろうか。
「一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた」。
ここにある「立派に」という言葉が気になる。次々と投げかけられる質問を蔑ろにせず、面倒臭さがらず、立派に… そうだ、イエスはそう思わせる態度で人びとに対峙していたわけだ。そして、最後に質問した律法学者にこう言わせた。
「あなたは、神の国から遠くない」。
そして、もはや、あえて質問する者はなかった。
そこに居る人びとが一つになった瞬間だ。沈黙の時が流れたのではないだろうか。
「最も重要な掟」をキリスト者なら誰もが「知って」いる。けれど、その掟を「実行する」ということはどういうことになるのだろう。そう、こういうことだ。イエスのように、イエスのように。

マルコによる福音書12章28-34節

2021年10月31日