復活節第3主日

イエスに従っていた弟子たちは、イエスが十字架につけられたときに、みんな逃げてしまった。 弟子たちは落胆と恐怖で、自分たちの故郷に帰ってしまった。今日の福音に出ている二人の弟子も、 エルサレムからおよそ12キロ離れた故郷のエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。この二人の弟子は十二使徒のグループのメンバーではない。
復活されたキリストが、彼らの後ろから目立たない形で近づき共に歩み始め、この出会いを通して同伴者になる。しかし不思議なことに、初めは何も意見を述べない。ただ「その話は何のことですか(なぜ、そんなに悲しんでいるのですか)」「どんなことですか」と訊いているだけである。イエスは教えてあげようという姿勢ではなく、まず現実を分かち合い、交わりの体験を大切にする。彼らはイエスのことで失望していた。彼らは“復活信仰”のすべてのデータをいただいているにもかかわらず、信仰の目が遮られている。
復活したキリストは、ほとんど輝かしい「出現」や 「幻」の体験の中にいない。また権力や栄華とは程遠い姿で現れる。つまり、復活したキリストは目立たない!その現存は、あまり気づかれることがなく、人違いされることもあり得る。旅人、同伴者、待ってくれる方、共感する方という姿が際立つ。復活したキリストはご自分を押し付けない。
キリストがまず二人の失望の心に耳を傾けられた後、聖書のことばを説き明かすことによって、ご自分の受難と死の新しい意味を啓示する。そしてその後、キリストが彼らと共にパンを裂くことによって、彼らの目を開き、ご自分の歩まれた道を理解させる。その瞬間に、復活したキリストの姿が彼らの前から消えてしまう。
“そして、時を移さずに、彼らはエルサレムの共同体に戻って、お互いの復活体験を喜びのうちに分かち合う。”キリストこそが私たちに聖書の意味を解き明かし、その理解を通して私たちを回心へ招く。回心の恵みを受けたキリスト者は、イエスにおける神の愛とゆるしの証人とされ、その使命を果たすために聖霊の力を受ける。

ルカによる福音書24章13-35節

2023年4月23日

前の記事

復活節第2主日

次の記事

復活節第4主日