聖霊降臨後第21主日
「ファリサイ派の人々は出て行って、どのようにしてイエスの言葉尻をとらえて、罠にかけようかと相談した。弟子たちをヘロデ派の人々と一緒にイエスのところに遣わして尋ねさせた。 『先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てなさらないからです。ところで、どうお思いでしょうか、お教えください…』」。この話は、イエスの地上での生活が終わりに近づいたエルサレムでのことである。ファリサイ派の人々がヘロデ派の人々と組んで、税金についてイエスに問いただし、イエスを罠にかけようとする。ヘロデ派はヘロデ王家を支持するグループで、ローマ帝国の支配を認めている。ファリサイ派は本来、ローマの支配に反対しているが、現実的に妥協し、税金を納めることを認めている。そこに、彼らの“建前”と“本音”という生き方が浮かび上がる。宗教心と実生活の分離である!
続けてイエスに質問する。「皇帝に税金を納めるのはモーセの律法に適っているか。」この質問は罠である。イエスの時代、デナリオン銀貨には、ローマ皇帝ティベリウスの像が刻まれ、『神聖なるアウグストゥスの息子、大祭司』と書かれていた。それは明らかにモーセの律法に反している。イエスは彼らの悪意に気づいて、理屈の問題を現実の生活に移す。彼らに「税金に納めるお金を見せなさい」という。彼らはすぐローマの銀貨をポケットから取り出してみせる。これは彼らが毎日の生活でローマのお金を使っていることを示しており、彼らの質問の“偽善”を自らが暴露する。イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と問い、ローマ皇帝のものであるのを確認させてから、「では皇帝のものは皇帝に」と答える。 しかし、イエスの答えはそれでは終わらない。「神のものは神に」とつけ加えている。
イエスは実際に、皇帝に税金を納めることを認めながらも、人間が生活のすべてにおいて神の前で忠実に生きるように訴えかける。 人間にとって、神は皇帝をはるかに超えている存在であるから、神を神として認め、神にすべてを返すべき生き方へと私たちを呼ばれている。
マタイによる福音書22章15-22節
2023年10月22日