顕現後第5主日
少し前に「スーパードクター」という言葉を耳にしました。人々は、何ヶ月も前から予約してでも、病気を治すために辛抱して待つのです。その人たちにとっては、彼らは、神様と同じと思えるのかもしれません。
今日のみことばは、イエスが安息日にカファルナウムの会堂で教え、悪霊に憑かれた人を癒やした後に、シモンのしゅうとめの家に立ち寄ったときの場面です。シモンのしゅうとめは熱を出して寝ていたので、人々が彼女のことをイエスに伝えます。イエスは彼女のそばに行って、手をとって起こされると彼女を癒やされます。
夕方になると人々は、病人や悪霊に取り憑かれた者をイエスのもとに連れて来て、戸口に町中の人が集まります。人々は、カファルナウムの会堂で行ったイエスの教えや奇跡を見て、皆驚きました。「『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。』イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々まで広まった」(マルコ1:27–28)とありますように、イエスに癒やしてほしいと心から願っていたのです。
イエスにとってこの一日は、どんなに忙しくおん父のみ旨を行ったことでしょう。イエスは翌朝まだ暗いうちに、人里離れたところで祈られます。何を祈られたのかわかりませんが、前日のことを感謝されたのか、これから宣教に向かうための計画を識別されたのかは、定かではありませんが、【祈られた】のです。イエスは、活動だけの方ではありません。イエスは、おん父への【祈り】を通して次に行うことを識別されるのです。
イエスは、「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」と言われ、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出されます。イエスは私たちのために、「出て来られた」のです。イエスから洗礼の恵みをいただき、イエスから召された私たちは、【祈り】のうちに、宣教に出かけることができたらいいですね。
マルコによる福音書1章29-39節
2024年2月4日