大斎節前主日

ペトロ、ヤコブとヨハネを連れて、山に登ったイエス様。3人の弟子たちの前で、変えられていきます。顔が太陽のように輝き、服が光のように白くなる。そこにモーセとエリヤが現れて、イエスと語り合っていたと言うのです。いったいどんな話をしていたのでしょう。エルサレムで遂げようとする最期について語りあっていたと記されています(ルカ9:31)。
この直前、はっきりとイエス様は自分の死と復活を予告します。ところがマルコ福音(9:32)ではこれに慌てたペトロがイエス様に「そんなことを言ってはいけない」といさめ、ペトロは「お前の思いは神のものでなく人間のものだ」とイエス様に厳しく叱られたことが書かれています。さらに「私の後に従いたいものは自分の十字架を担って従え」と命令しています。イエス様にしてみれば、自分はこれから十字架に向かうと分かっていれば、それをいさめるペトロを、本当に何も分かっていないものと腹を立てたくもなったのでしょう。
モーセもエリヤも、もう神に従うのはつらい、こんな思いをするくらいなら、死んだほうがましと思うほど、人間としての自らの弱さを抱えた人でした。そしてまた群集のうつろいやすさ、すぐに心変わりをしてしまう人間の心の弱さを、よく体験した人でもありました。イエスも人間となった以上、人間としての弱さと無縁ではありませんでした。そのイエスが、同じ体験を人間としていやと言うほど受けたモーセやエリヤから励まされたとしても、けっしておかしなことではありません。モーセとエリヤとイエスの変容。そのためには、血で自らを洗う必要がありました。そしてモーセもエリヤもイエスも、恐るべき闇と裏切りと絶望と血の中を通って、やっとこの栄光に辿り着いたのでした。
私たちもまだペトロのように、ただの栄光、輝きに惑わされがちなものです。神に最もよく従ったこれらの白い衣を着た者たちほどの苦難は、まだ体験していないのだと思います。だからこそ、楽な道ばかりでない、回心の歩みをしていきましょう。

マルコによる福音書9章2-9節

2024年2月11日

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