大斎節第1主日

神は一方的に人間に対して温情をかけます。神から先に手を差し伸べることが「契約」の特長です。ふつうの社会での契約は二人以上の人間が対等な立場で同じ条件を掲げて約束をかわすことであり、約束に背いた場合は罰がくだされることになります。
しかし、神と人間とでは、決して対等な立場に立つことはできません。そして、人間は常に神を裏切り続ける危険性を備えています。人間は、しょせん神の呼びかけには応えきれない弱さを直すことができないほどに、罪深い存在なのでしょう。さらに、人間は約束を破ったあとでくだされる罰に対しても、完全な償いを果たすことが無理です。神の寛大な愛情と人間のせせこましい愛情とでは、絶対に釣り合わないほどの格差があるからです。人間は、いくら努力したとしても決して神の愛情深さに追いつくことができないのです。
こうして、神が人間に対して温情をかけて結ぶ「契約」が、特別なかけがえのないものであることが明らかとなります。神は相手を大切にするあまり、大目にみてゆるしてくださるのです。神からの「契約」は、まさに一方的で無償の贈りものなのです。愛ゆえに最高のものを相手に与えるのが神の寛大さなのです。
イエス・キリストは、弱き者たちに温情を具体的に示す御父である神の独り子として、神の愛情深さを人びとに伝えました。洗礼者ヨハネが去った後に、キリストは活動を始めます。洗礼者ヨハネの努力を認めつつ、本格的な愛情の深さを具体的に示し始めたのです。そのタイミングのはかりかたは、神の恵みの働きを具体化する聖霊の後押しによるものです。こうして考えてみると、御父と御子イエス・キリストと聖霊は常に具体的に相手に向かおうとする実践力を備えていることがわかります。
私たちも具体的に動いて相手を支えることに集中したいものです。旧約聖書で登場するノアもまた神のよびかけに信頼して、具体的に手足を動かして箱舟をつくりました。全身全霊で具体的に作業し始める積極的な姿勢を心がけることこそが、実は、神からのよき知らせ(福音)を着実に社会に広める出発点なのでしょう。

マルコによる福音書1章9-13節

2024年2月18日

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