聖霊降臨後第15主日
「親の心子知らず」ということわざがありますが、「親は子どもに対して深い愛情と思慮に基づいて語っているのに、子どもはそのことを知らないで、勝手気ままな行動をしている」という意味で使われます。このことが転じて、「人の気持ちは、なかなか伝わりにくい」ということを教えているようです。
今日の福音は、「人が犯した罪に対して、兄弟を得るために何度でも忠告する」ことをイエスが教えている場面です。今日の福音の前には、『迷い出た羊』のたとえの箇所がありますが、その最後に「そのように、これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなたがたの天の父の御心ではない」(マタイ18・14)とあります。今日のみことばは、このみことばをさらに深めるためにイエスが話し始められます。
イエスは、「兄弟があなたに対して罪を犯したならば、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得ることになる」と話し始められます。この「罪を犯した人」というのは、前のたとえにある「迷い出た羊」であり、「これらの小さい者」と言ってもいいでしょう。天の父は、これらの一人でも滅びることはご自分の御心ではないのです。
ですから、イエスは「罪を犯された方が、罪を犯した人に対して【忠告】をしに行きなさい」と言われています。普通、私たちは自分に罪を犯した人に対して、忠告ではなく、自分が受けた屈辱に対して謝罪を求めるか、不満をぶつけるのではないでしょうか。しかし、イエスは罪を犯した人に対して「【忠告】をしなさい」と言われているのです。
この罪を犯した人は、自分のところに足繁く通ってくる人に対して、最初は鬱陶しいと思っていたかもしれませんが、徐々に心を開いて相手を受け入れ、次第に友人となることでしょう。私たちは、罪深く何度でも同じような罪を犯してしまいます。天の父は、そのような私たちのところに人を介して私たちの回心を望んでおられるのです。私たちは、この天の父の御心に気づき、謙遜な気持ちで感謝のうちに歩むことができたらいいですね。
マタイによる福音書18章15-20節
2026年9月6日


