「わたしを愛しているか」

コロナ感染も1年半が経とうとし、皆さまも精神的にも肉体的にもお疲れが出てきていることでしょう。ワクチンが終わったとしても、まだまだ新しい形のコロナも出てきて、心配が尽きません。教会も非公開が何回も繰り返されています。このような状況の中にあって、私たちは神さまから与えられた信仰を守り続けていかなければなりません。常に私たち自分の胸に手を置いて、心の奥深くを見つめ、神の恵みの内に留まり、主に従って歩み続ける決意を繰り返すことが大切です。イエスがペトロに「わたしを愛しているか」(ヨハネ21章15-17節)と尋ねられるときに、イエスはペトロに同様のことをしておられると言えるでしょう。イエスはペトロを叱責するのではなく、むしろペトロに信仰と献身を確認する機会を与えておられます。イエスは、「わたしを裏切った時のことはどうなのか」とか、「あなたはそれを本当にできる自信があるのか」などとはお尋ねになりません。イエスはペトロがご自分を愛していることをもうご存じです。でも、イエスはペトロに心の奥深くを見つめてその愛を認めてほしいのです。イエスがペトロに「わたしに従いなさい」(ヨハル21章19節)と言われるとき、イエスの目的が明らかになります。ペトロがイエスへの愛をあらためて確認した上で、信仰の内に一歩前に踏み出し、ご自分と共に前進することをイエスは望まれています。イエスはコロナ禍の中にある私たちにもペトロと同様なことを期待されておられます。毎日、イエスはご自分への愛を宣言するように招いておられます。ペトロのような質問ではないかもしれませんが、内なる促しという形で、あらいは、あらためてご自分への献身を約束するように、と招いておられるかもしれません。それは私たちのイエスへの愛を疑っておられるからではありません。私たちをもっと強めたいと思っておられるからです。ご自分の恵みをあなたの心の真ん中に保ち続けられるようあなたを助けたいと望んでおられるのです。ですから、毎日、少しの時間で構いません。キリストへの信仰を確認するために時間を取りましょう。目が覚めた瞬間でも、朝食を取る前でも構いません。夜、寝る前に一日を振り返る時でも、布団に入ってからでも構いません。次の言葉を唱えることにしましょう。「イエスさま、わたしはあなたを愛しています。あなたのお約束に信頼します。私はあなたのためにあらためて献身したいのです」とイエスに応じなさい。主に従いたいという願を宣言して一日を始めるなら、一日を終えるなら、コロナ禍でもイエスの弟子として生きていこうとする私たちは、希望を持つことができるでしょう。「(ヨハネの子シモン)、私を愛しているか」(ヨハネ21章16節)。(  )の中に自分の名前を入れて、イエスへの献身を確認しましょう。「神さま、私があなたを愛していることをあなたはもうよくよくご存じです。毎日私が心からあなたに献身できますように、私を助けてください。アーメン」。

2021年9月12日発行
西宮聖ペテロ教会 教報ともしび 第173号