三位一体主日・聖霊降臨後第1主日

周りの人から、無視されたり、拒否されたりすることは、とても辛くて、悲しいことです。ましてや、自分が愛している人から同じように拒まれると何日も落ち込んでしまうのではないでしょうか。
イエスは、「神は独り子をお与えになるほど、この世を愛された。独り子を信じるものが1人も滅びることなく、永遠の命を得るためである。」と言われます。私たちは、自分の子を差し出すほどの愛を持っているでしょうか。それも、周りから拒否されるだけではなく、排斥され、殺されるために、差し出すことができるでしょうか。
おん父は、それほど私たちを愛してくださっておられます。おん父は、私たちが【永遠の命】を得るためには、何ものも惜しまずに与えてくださるお方です。それは、母親が自分の子のために何ものも惜しまずに育てる愛に似ているのではないでしょうか。
おん父の愛は、私たちの罪を贖ってくださるために、ご自分の子イエスをこの世に遣わされるほど、私たちを愛してくださっておられます。しかし、この世には、イエスを信じることを拒む人もいたのです。ヨハネ福音書の1章には、「み言葉は自分の民の所に来たが、民は受け入れなかった。しかし、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。」(ヨハネ1・11〜12)とあります。
ここに一つの希望があるような気がいたします。それは、「イエスを【信じる】」ということです。イエスは、「御子を信じる者は、裁かれない。信じない者はすでに裁かれている。神の独り子の名を信じなかったからである。」と言われます。イエスは、ご自分を信じる者は「裁かれない、救われる」とお約束されます。
私たちがイエスの愛に応えるということは、私たちを先に愛されたイエスを【信じる】ということではないでしょうか。「独り子の名を信じる」ということは、イエスの全てを信じる、愛するとことと言ってもいいでしょう。私たちは、これほどまでも私たちを愛してくださった、イエスを思い、信じながら歩んで行けるといいですね。

マタイによる福音書第28章16-20節

2020年6月7日