顕現後第5主日
私たちがインターネットで何か商品を検索したり、またその商品を購入したりすると、それと関連したものが、宣伝として何度も出てきます。また、「この商品を購入した人は、◯◯も購入しています」という画像も出てきます。インターネットでは、このように何度も商品を宣伝し私たちが再び商品を購入するように促しています。
この【宣伝】という漢字を2つに分けると、「宣べる」と「伝える」となります。
イエスは、今日のみことばで「一緒に近くのほかの町や村に行こう。わたしはそこでも宣べ伝え(共同訳聖書では「宣教」と訳されている)なければならない。わたしはそのために出て来たのである。」と言われます。では、イエスは、何を宣べ伝えられたのでしょう。
イエスは安息日に会堂で悪霊に憑かれた人を癒した後に、シモンとアンデレの家に行きます。そこでも、イエスは、シモンの姑が熱を出しているのを癒やされます。イエスの評判は、ますます広がったのでしょう。安息日が終わり夕方になると人々は、病人や悪霊に憑かれた者をみな、イエスのもとに連れてきます。シモンの家の戸口には、町中の人でいっぱいになりますが、イエスは彼らをも癒やされます。人々は、その日だけではなくその翌日にもイエスを捜して癒して頂こうとするのです。
人々は、イエスが今までの預言者とは違う何かを持っているということを感じていたのでしょうし、また、自分たちの苦しみ、弱さをイエスによって解放してほしいと願っていたのではないでしょうか。このように考えますと、イエスの奇跡は、イエスが「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・14)と宣べ伝えられたことを、人々の目に見える【しるし】となったのではないでしょうか。
洗礼の恵みを頂いた私たちは、きょうのみことばでイエスが人々を癒したように、私たちも繰り返し周りの人に、【福音】を宣べ伝えることができたらいいですね。
マルコによる福音書1章29-39節
2021年2月7日