大斎節第1主日

神から地上に派遣された御子イエス・キリストは聖霊のうながしによって「荒れ野」へと送り出されました。イエスはあらゆる人が経験する困難な状態を引き受けました。あらゆる人と連帯するためです。相手の困難を救うには、相手と同じ困難な状況のまっただなかで生きることが不可欠です。相手と同じ境遇で過ごすことで相手の気持ちをよりいっそう深く理解して、相手といっしょに立ち直る共同体そのものとして二人三脚の人生を生きることになるからです。「荒れ野」にて試練を受けることは、イエスのみならず、あらゆる人が経験する事実であるでしょう。どのような人も人生の大きな転機を経験します。つまり、人生には必ず「困難な事態」が生じるのです。まるで「荒れ野」のような「困難な事態」は、しかし、人の生き方を大いに転換させます。「荒れ野」は、もちろん不毛な状態ではありますが、その不毛状態で過ごすことで人の成熟度が高まります。あらゆる人が試練を受けるのは成熟するためでもあります。人生はよりいっそう意味のあるレベルの高いものへと深まるからこそ、価値がでてくるものなのです。いかなる悪意や邪魔によってさえ阻止できなかったイエス・キリストの力強い復活によって、あらゆる人が救われるという尊い事実は、洗礼によって明らかになります。使徒ペトロは、キリストの力強いわざを大切に心に留めつつも、幅広くあらゆる人に対して語り伝えようと努めるのです。世の中には、神の力を邪魔する動き(サタンのはたらき)がいたるところにうごめいています。しかし、キリストは、いかなる困難をもくつがえし、相手を徹底的に支えます。救い主としての実力を備えているのがイエス・キリストなのです。
試練をくぐりぬけて、私たちと確かにいっしょに生きつづける救い主イエス・キリストこそが、神の力強い契約の体現なのであり、それほどまでに私たちと同じ境遇を丁寧に引き受けるという思いやり深い主の愛情が決して絶えることなく、私たちを活かすのです。つまり、私たちの心の底で確かにはたらく神の愛情深い力としての聖霊が、新たなる刷新の歩みを切り拓いてくれます。その力は御父や御子キリストによる愛情深さとも連動しています。

マルコによる福音書1章9-13節

2021年2月21日

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