顕現後第2主日

神の栄光とは、人びとのしあわせを実現することなのでしょう。それは、カナの婚宴の出来事を眺めるとよくわかります。イエスによる「最初のしるし」は神の栄光を現わすことでした。イエスを通して神のいつくしみ深い愛情が人知れず大きな影響をおよぼします。イエスは常に誰かのしあわせを実現するために働きました。イエスの言葉とわざは相手を励まし、活かします。しかも、目立たない心づかいを通して、さりげなく、イエスは水をぶどう酒に変えます。母親のマリアの目立たない後押しもまた、さりげない心づかいによって相手のしあわせを願う気持ちであふれていました。相手を想う愛情のあふれが共同体全体を喜びで満たします。ヨハネ福音書で頻繁に描かれる「しるし」とは、神のいつくしみ深い働きが人間を活かすことで、しあわせに導く出来事です。相手をしあわせに導くことで、共同体がじゅうぶんに成長してゆく様子が、神の栄光なのです。神の栄光とは、神の圧倒的な存在感(臨在)を相手に実感させることであり、「重みのある出来事」あるいは「重大なことがら」を示します。神による、いのちがけの関わりかたが人間に示されるのです。神の愛の重大さが明らかになることが栄光と呼ばれています。相手のしあわせをじゅうぶんに実現する神のわざの完成の輝きが、栄光としてあらゆるものを照らし、暖めることになります。体当たりで、真剣に、相手に向き合う神が確かにいらっしゃるという事実に気づくときに、神の存在価値が相手の心に自覚されます。イエスは常に相手のしあわせのために奇跡的な励ましを授けます。自分の名声をとどろかせるための奇術などではなく、むしろ相手のしあわせを最優先する徹底的な奉仕のへりくだりの姿勢が、神のわざとしての「しるし」なのです。
イザヤの預言の呼びかけからは、「神はあなたを喜びとされる」という貴重な言葉が聞こえてきます。そのひとことは、まさに、神が、いかに人間ひとりひとりを大切にしているのかを、じゅうぶんに示しています。私たちは個人的な悩みによって落ち込みます。しかし、神はそのような私たちをまるごと認めて、愛する相手として迎えてくださるのです。

ヨハネによる福音書2章1-12節

2022年1月16日

主日の福音から

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