聖霊降臨後第18主日
日本人は「Noと言えない」と言われます。その理由としては、断ることができず、何とかして相手の要望に応えようとしたり、あるいは「No」と言うことへの恥ずかしさもあるのかもしれません。または、「No」と言うと次からの注文が来なくなるなど、さまざまな理由があると思います。では私たちは、イエスの呼びかけにどのように答えているでしょうか。
今日のみことばは、父親が兄と弟のところに行って「子よ、今日、ぶどう園に行って働きなさい」と言う場面です。この時、長男は「いやです」と言い、弟は「お父さん、承知しました」と答えます。
兄はなぜ「いやです」と答えたのでしょう。たとえば、父親との仲があまり良くないと思っていた、父親の要望に完全に応える自信がなかった、別の仕事をしていてできなかった、ただ、単にしたくなかった、などいろいろな理由があったかもしれません。ある意味、兄は父親に自分の気持ちを素直に表す正直な人ではないでしょうか。
しかし、兄は【後で考え直して】出かけて行きます。彼は、「自分が父親にひどいことをしてしまった」という気まずいという気持ち、良心の呵責が心のどこかにあったのかもしれません。
弟の方は、「お父さん、承知しました」と答えますが、実際はぶどう園に行きませんでした。彼は、父親の要望に応えることができると思ったのかもしれませんし、「いやです」と言えないプライドがあったのかもしれません。この二人の違いは、父親の望みどおりに「したか」あるいは、「しなかった」か、ということですが、そのポイントとなったのは、兄が【後で考え直して】出かけた、ということではないでしょうか。兄は、父親に「いやです」と言ってはみたものの、心のどこかにわだかまりがあったのでしょう。この【後で考え直す】というのは、自分の気持ちを振り返るという意味もあり、回心するという意味があるのではないでしょうか。
私たちは、日々の生活の中で「今、わたしはおん父のみ旨に応えているだろうか」と、【後で考え直す】時間を持つことができたらいいですね。
マタイによる福音書21章28-32節
2023年10月1日