聖霊降臨後第3主日

今日の福音を読んでいて、イエスの姿にとても感動しました。
イエスは、「あの男は気が変になっている」といううわさから、身内の人たちに取り押さえられようとし、エルサレムの律法学者たちからは「ベルゼブルに取りつかれている」と言われます。とんでもないことです。
もし、私がイエスの立場にいたら、とても落ち込むか、怒りが心の中で沸き上がることでしょう。
しかし、イエスは全く違います。イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られるのです。イエスの姿には、落ち着きと平安、御自分が神の子であるという揺るぎない信頼が満ちています。
また、イエスはこう言われます。
「人の子が犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。 しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
このイエスの言葉を心の中でくり返していると、使徒パウロのエフェソの教会への手紙の箇所が心の中でこだましました。
「神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、 贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。」(エフェソ4:30~32)みんなが仲良く暮らせますように。
主イエスの支え、恵みがすべての人の上にありますように。

マルコによる福音書3章20-35節

2024年6月9日