降臨節前主日
今日のみ言葉には、ピラトとイエスしか登場しません。確かにこの二人は会話をし、そこに居ます。しかしその場面を観想してみると、私にはピラトとイエスがそこに居るにもかかわらず、全く違う場所に立ち、全く違う空間と時を生きているように観えてきました。イエスご自身も「わたしの国は、この世には属していない」と2回も話されます。しばらくすると、小学生の時学んだ「平行な線はどこまでいっても交わることはありません」というフレーズが浮かび、「どこまでいっても交わらない場所」が観えたような感じがしました。この感覚にとどまって祈っていると、パウロの回心の聖書の場面や、ロヨラの聖イグナチオ、アッシジの聖フランシスコの回心の場面が心に現れてきました。決して神と交わらない場所に居たこの聖人たちは、人生の途上で神と共に生きる人となり、今もこれからも私たちを信仰の道へと導いてくださいます。彼らはどのように「自分の場所」から「イエスの場所」に移り、神と共に生きる人となったのでしょうか。
イエスは「わたしは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は皆、わたしの声を聞く」と言われます。聖人たち、また殉教者たちは、それぞれの人生の中で、真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来たイエスと出会い、イエスの声を聴いたのです。この体験は恵みそのものであり、アガぺの愛によるものだと確信します。慈しみ深い神はこのアガぺの愛を、特別な人だけではなく全ての人々に注がれています。
私たちは日常生活の中で、真理について証しをするために生まれ、私のすぐそばに来てくださっているイエスに気づき、真理を受け取っているでしょうか。そしてイエスの声を聴く者となっているでしょうか。慈しみ深い神からのアガぺの愛に信頼し、今を誠実に丁寧に生き、私たちのためにこの世に来てくださったイエスと出会ってまいりましょう。
ヨハネによる福音書18章31-37節
2024年11月24日