顕現後第7主日

イエスによって“幸い” と言われた人々は、新しい生き方へ招かれている。“敵を愛する”。このような生き方は自らの道徳的な努力からというよりも、神に無条件に愛されている体験からうまれてくる。この愛はアガペと呼ばれる。マタイが言っているような“平等の愛” (マタイ5:45)に勝り、ルカにとって“恩を知らない者にも悪人にも情け深い”ことが神の特徴である。敵をどう愛すべきかを、神の無条件のアガペから学び、神の子供としてそのアガペを出会うすべての人へ広げていくことが宿題である。
愛することは決して好きと嫌いの意味ではないし、感情や気持ちの問題だけではない。ルカにとって敵を愛するとは、いろいろな具体的な形で敵意を示す人々に、アガペの行動で具体的に応えること。すなわち、親切にする、祝福する、祈ることである。
イエスとルカの時代は、人間関係はほとんど恩返しや義理だけがものをいう社会であるが、その中で無償のアガペを示すために新しい生き方が求められている。それは敵を愛し、人に善いことをし、ただで与えることなど、一つ一つ具体的な行為である。
こうしてアガペを生きるイエスの弟子は“アガペである神”の子供となり、人々に対して神の大きな愛を “うつす”ことになる。
ルカ6:36から、共同体内の人間関係が中心になる。神が父で、相手が兄弟姉妹で、先生と弟子のイメージはいずれも初代教会のことばである。「父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」というルカ6:38のことばを「天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)と比べてみれば、ルカはこのことばの使い方によって、赦すことのテーマを強調する。赦すことは神の業である。それは相手を裁かないこと、とがめないこと、“ただで” 赦しを与えることである。

ルカによる福音書6章27ー38節

2025年2月23日

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