復活体験

イースターおめでとうございます。

桜の花が咲き始めた4月5日、主のご復活の記念を喜び祝うことができますことを深く感謝したいと思います。
いうまでもなく教会は毎年、主のご復活をお祝しているわけですが、そもそも「復活」の前には「受難」と「逝去」というものがあったことを忘れてはならないし、それらを想うことなくしては、心からの喜びにはほど遠いような気さえします。そうです。復活日だからこそ主のご受難とご死去を思い起こし、天国にいる信仰の先輩たちにたちに心を向けなければなりません。
「週の初めの日の明け方早く、婦人たちは、準備しておいた香料を持って墓に行った」(ルカ24:1-12)。イエスの復活を物語る重要な場面を記したこの箇所は、ご覧のように「お墓参り」によって幕を開けるのです。イエスに従った婦人たちは、先ず、イエスが葬られた墓に出向きます。「香料を持って」とあります。おそらくその香料は油で溶いて遺体に塗るためのものだったかもしれませんが、話を日本風に置き換えるならば、いわばお線香を用意したのだと考えればいいでしょう。「週の初めの日(日曜日)の明け方早く」、イエスの墓に行った婦人たちの復活体験は、毎日曜日、聖餐式のために家を出るわたしたちに受け継がれているのです。
「復活」を考えるとき、キリストに繋がれて既に天に召された人たちが、いまもなお、わたしたちの間で確かに生き続けている。そういう経験が皆さんにもきっとおありであろうと思います。亡くなったわたしたちの家族、友人、恩人たち、その人たちがただ単にわたしたちの「心の中で」だけで生きているのではなく、その生涯が、あるいは生き様が、事ある毎にわたしたちの生き方や考え方に影響を与えているのであり、その存在は常にわたしたちの前方に示されるひとつの「道」となるものです。
よく「復活ってよくわからない」という人がいますが、神秘はわからないのが普通です。「復活」は教義として頭で理解しようとしている間は何も実らせず、わたしたちの身近な実体験と重ね合わせて見つめ直すときにのみ、わたしたちはそこから力を得、その証人とされて行く、そういうものであろうと思うのです。とりわけ亡くなった人が、キリストとともに今もわたしたちと生きていると思えたときなどは、復活体験をしているときなのです。

2026年4月5日発行
西宮聖ペテロ教会 教報ともしび 第187号

主日の福音から

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