復活節第7主日

イエス・キリストは世を去るときでさえも、「いつもあなたがたと共にいる」と約束します。つまり、イエス・キリストは相手を大切な者として認めており、決して見棄てることがないのです。みなさんも、大切な相手とは常にいっしょにいたいと感じることでしょう。それならば、「いつもあなたがたと共にいる」というイエス・キリストの約束は、まさに「あなたから決して離れたくはない、それほどにあなたが大事なのだ」という愛情深い宣言であり、ちょうど結婚式の誓いと同じ真剣さに満ちています。それほどまでに、11人の弟子たちは、イエス・キリストから大切にされていました。しかしながら、11人の弟子のなかには「疑う者もいた」とマタイ福音書は記録しています。大切にされているのに、疑ってしまう、ということは、みなさんにも経験があることでしょう。いくら親しく愛し合っていたとしても、恋愛のまっただなかにあっても、人間という生きものは哀しいことに、相手を疑いつづけるものなのでしょう。愛が失われることを極度に怖れて、常に警戒してしまうわけです。11人の弟子たちもイエス・キリストが自分たちを見棄てるのではないか、と心の片隅で疑っていたわけです。
しかし、イエス・キリストは疑い深い弟子たちに「近寄って」ゆきます。相手からの冷たい疑いをものともせずに。イエス・キリストは相手の気持ちをこまやかに察して、徹底的に「共にいよう」と決意して積極的に接近します。しかも、イエス・キリストは弟子たちに重大な役目を授けます。弟子たちが愛情関係だけに溺れて自己中心的な狭さのなかで、がんじがらめにならないように。外向きの奉仕職を授けました。イエス・キリストは、弟子を増やし、洗礼を授け、善いわざに励むように他者と関わることを11人に託しました。ちょうどイエス・キリストが11人を選び出して育てたように。
昇天とは、相手が別の次元に去ってゆくことなどではありません。むしろ、安心して相手にすべてを託して、バトンタッチするような、全幅の信頼を寄せる出来事なのでしょう。イエス・キリストは、弟子たちに対して、もう、すべてをまかせてもだいじょうぶだ、という安心感をいだいているのです。

ヨハネによる福音書17章1-11節

2026年5月17日

主日の福音から

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