聖霊降臨後第10主日

私たちにとって豊かさとは、いったいどのようなものなのでしょうか。私たちの周りには、物質的なものも、情報もあふれています。その反面、人と人とのつながり、また、霊的なものとのつながりが表面的で希薄なものとなっているのではないでしょうか。その中で、私たちはもっと心の底から満たされるものを望んでいるのかもしれません。
イエスは、ご自分を捜し求めてきた群衆に向かって、「……いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなた方に与える食べ物である」と言われます。イエスは、ただ単に空腹を満たすパンのためではなく、霊的に豊かになる食べ物である、【ご自身】のために働きなさい、と言われます。
残念なことに群衆は、イエスの言葉を心で理解するのではなく、頭で理解し「何をしたらよいでしょうか」と尋ねます。彼らは、何か特別な【行い】によって「永遠の命に至る食べ物のために働く」のだと、理解していたのです。イエスは、そんな彼らに「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」と言われます。
私たちは、「困っている人、貧しい人、間違っている人を助けないと」と何か特別なことをする傾きがあります。しかし、イエスは、特別なことを【する】のではなく、ただ単に「神がお遣わしになった者を【信じる】」だけでいいと言われます。イエスは、ご自分を信じることで自ずと私たちの行いが【永遠の命】に至る【神の業】へと向かうと言われているのです。
イエスは、「わたしが命のパンである。……わたしを信じる者は、決して渇くことがない」と言われます。私たちは、自分を満たすものを【外】へ探しに行くことで安心します。しかし、本当は、私たちの中におられる【イエス】に目を向け、ただ単に【信じる】だけでいいのです。
みことばを味わいながら、私たちの心に響いてくる「イエスの声」をただ【信じて】日々を歩むことができたらいいですね。

ヨハネによる福音書6章24-35節

2021年8月1日