聖霊降臨後第21主日

アモスの預言の中に、次のような節がある。
わたしを求めよ、そして生きよ。
……主を求めよ、そして生きよ。
……善を求めよ、悪を求めるな。
お前たちが生きることができるために。
         (アモス5:4〜14参照)

アモスが「主(わたし)を求めよ、そして生きよ」と繰り返し語りかけている。

今日の福音、ザアカイの物語を読んで、アモス書のこの箇所のことが思い浮かんだ。

ザアカイは徴税人の頭で、金持ちであった。しかし、彼は単なる金持ちではなく、「だれかから何かだまし取っていたから」金持ちであった。イエスが通りかかるというので、ただ興味本位で、有名なあの人を見たいがために、走って先回りし、いちじく桑の木に登ってまでしてイエスを見ようとした。この段階で、ザアカイは自分自身の日常に支障をきたしていることなど何も気づかなかったのだ。自分が誰かをだまして、お金を余計に得ていることなど絶対に気づいていない。

なんだか、とても不思議だ。
イエスに声をかけられ、あなたの家に泊まると言われ、喜んで彼を迎え入れたとたんに、ザアカイは自分の中の黒いものに気づく。「善を求めよ、悪を求めるな」と言われたわけではないのに、いつしか、善を求める者になっている。清らかなものを求める者に生まれ変わっている。イエスは、「善を求めよ、わたしを求めよ」とは言わない。しかし、何も言わずとも、彼の行動、彼の振る舞い、彼の笑顔、彼の態度はロゴス(言)を表現している。最高の表現者だ。

キリスト者として、この名に恥じぬよう、イエス・キリストについて行く。
自分の中の黒いものを吐き出して、わたしも自身もイエスのような表現者となれますように。

ルカによる福音書19章1-10節

2022年10月30日