大斎節第1主日

今年はマタイ福音書の誘惑物語の場面で大斎節に入る。マタイ福音書のみ言葉の中で、三つの誘惑へのイエスの答えから読んでみれば、私たちの黙想のヒントとなる。このように、イエスは大斎節の出発にあたって、教会全体や私たち一人一人の模範となる。 「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」ここでイエスは聖霊に導かれて、自分の利益のために奇跡としるしの道を歩むことを拒む。 彼は “パンだけ”の道を拒否して、子として神のことばに聴き従う道、また、無力な奉仕の道を選ぶ。
「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」神の現存のシンボルである神殿のもっとも高いところに立たされたイエスは、再び自分の利益のために宗教を悪用することや、サタンによって聖書が悪用されること(マタイ4:6)を拒否する。すなわち、神がともにいて、自分を救いに来てくださるかどうか試みることを拒み、また、子として父なる神から自分の独立を試すことや、魔力的な宗教的しるしを行うことを退ける。彼はここでも、神のことばに従うことと、仕える道を選んだ。
「退け、サタン、『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」最後の誘惑では、一瞬のうちに高い山に引き上げられたイエスが権力による神の国の実現を拒否する。彼はこの世での支配力と繁栄の道を拒み、政治的な権力を拒否し、たとえ神の国を実現するためであっても、世俗的人望を集めようとはしなかった。イエスにとって神だけが絶対なる主であり、ここでも仕える者としての選びを再確認している。
誘惑物語は、洗礼によって聖霊に満たされたイエスが、アッバである神の愛する子としての自己理解と召命を、いかに厳しく試みられたかを伝えようとしている。言いかえれば、マタイによる三つの誘惑に対するイエスの答えのなかに、私たちは公的生活と宣教のすべてに見られるイエスの基本的な選びを読み取ることができるのである。このイエスの選びが私たちの大斎節の道を照らしてくれるように、祈りながら……。

マタイによる福音書4章1-11節

2023年2月26日

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