大斎節第3主日

イエスは、シカルというサマリアの町へ行かれます。この町に是非とも行かねばならない理由がイエスにはありました。
正午ごろ、イエスは旅に疲れて井戸のそばに座られます。そこにサマリアの女が水をくみに来ました。疲れて座っておられるイエスと、正午ごろという太陽が一番照る、ほかの人が水をくみに来ない時間に井戸へやってくる女の人。疲れて弱った者と 弱く傷つきやすい者との出会い。イエスは、そのような出会いを大切にされます。そして、その出会いの語らいの中で、天の御父である神との出会いへ、イエスはサマリアの女の人を招かれます。
イエスは、人と神との出会いの仲介者。
祈りの旅路の中でイエスに出会い、語り合ううちに、わたしたちは自分のありのままの姿に向き合います。そしてイエスが、そのありのままを神が無条件で愛してくださることを知る恵みの中に、わたしたちを導いてくださいます。
今日、イエスがサマリアの女に「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と語っているように、その恵みの体験はわたしたちの存在の心の奥深くで、生きる力・心を照らす光・尽きることのない喜び・まことの平和となります。たとえ、祈りの中で神の愛を感じることができない時があったとしても、わたしたちが一度知った神の愛の体験は、わたしたちの内で泉のように在りつづけます。
祈りの旅路を歩む一人ひとりが、イエスとの出会いを通して、御父である神との出会いへと導かれますように。

ヨハネによる福音書4章5-26、39-42節

2023年3月12日