聖霊降臨後第5主日

今日の福音に挟まれて福音では読まれませんでしたが、二つのいやしの話が書かれています。ヤイロの娘の話はヤイロとイエスの出会いで始まる。ヤイロはイエスが死にかかっている娘をいやすことができると信じている。イエスはその心を受け入れ、ヤイロの家に向かって出かける。途中でヤイロの信仰が大いに試される。イエスと「出血の止まらない女」との出会いによってヤイロの娘が後回しにされる。
もはや人間的な解決がなくなった女は密かに、しかし、必死の思いで、イエスにいやしを求める。彼女は出血があるために、汚れた者と見なされ、人々との交際を禁じられていた。イエスのことを聞いて、後ろから、そっとイエスの服に触れる。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、触れた者を見つけようとされる…。イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」真の救いはイエスとの対話にあり、皆の前で彼女のすばらしい信仰を褒める。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った」と。イエスと「出血の止まらない女」との出会いの最中、ヤイロの娘が死んだので、もう救いの見込みがなくなったという知らせが届く。イエスはここでヤイロに「恐れることはない。‟それでも信頼を持ち続けなさい”」と言われる。イエスは、ヤイロに試練を乗り越える信仰の歩みを求める。「眠っているだけ」とはイエスの死についての理解を私たちに示している言葉である。「タリタ、クム」は、イエスの(アラム語の)生の声が伝えられていると思われる。その少女の救いの時に居合わせていた3人の弟子が、このイエスの言葉を初代教会に残してくれたのだろう。この二人の信仰・信頼は、苦しみの中にあって、神の救いの力、イエスの力に唯一の希望を見出し、ひたむきに助けを求めていく姿勢である。いやしの出来事における信仰とは、『この人なら何とかしてくれる』と思い、ひたすらイエスに向かっていく態度が大切なのです。

マルコによる福音書5章22-24、35-43節

2021年6月27日