大斎節第5主日

今日の福音に出てくる土地を貸してもらった農夫たち。土地を借りているのだから、自分たちの収穫のある部分を、貸主である主人に渡すのは、当然だったでしょう。しかし農夫たちにとって、取り上げられる分が多ければ、腹が立ちます。収穫を自分のものにしたいと言う欲が働きます。自分たちの取り分を当然のように持って行ってしまう主人の権威・力に対し、憤りや恨みを抱くようになります。当然のことをされているのだが、当然のことと思えない。主人の権威を否定し、僕を殺害し、ぶどうの収穫をすべて自分のものにしようとする。そのことが何度か続きます。主人は、僕を送っても分からないのか。それなら実の息子を送ろう。いくらなんでも実の息子なら、権威を認めるだろう。
しかし農夫の考えは逆でした。実の息子を殺せば、相続財産は自分たちのものになる。息子を殺し、主人の権威を完全に否定しました。その結果は、当然、農夫たちに振り返って来ます。
人間の強欲、力への渇望がこのような恐ろしい殺害にいたる。とても恐ろしいたとえです。
しかしこれは別に2000年前のユダヤ人のことだけを言っていると言うわけでもありません。人間はなんだかんだと言っても、自分の力・地位と言うものをより上に保とうとするものです。この世、社会の仕組みは、明らかに権力・力関係に支配されています。それは愛の場であるはずの家庭においてもまったく同じでしょう。
神様は不信仰な人間を救いたいほどの愛そのものの方です。だから私たちが神の子イエス殺しをしたとしても、そのような私たちに対して、「この人たちは何をしているのか分からないから赦してください」と必死で祈ってくださるイエス様がいるのも事実です。
だからこそ、私たちはそれほどまでの愛の方である神の独り子を殺してはならない。神様から託されたものを、本当に尊重し、大切にすることが必要です。

ルカによる福音書20章9ー19節

2022年4月3日